漢詩紹介

読み方
- 囚中の作<高杉東行>
- 君見ずや死して忠鬼と為る 管相公
- 霊魂尚在り 天拝の峰に
- 又見ずや石を懐いて流れに投ずる 楚の屈平
- 今に至るまで人は悲しむ 汨羅の江
- 古自り讒閒 忠節を害し
- 忠臣君を思うて 躬を懐わず
- 我も亦貶謫 幽囚の士
- 二公を憶い起こして 涙胸を沾す
- 恨むことを休めよ空しく 讒閒の為に死するを
- 自ずから後世議論の 公なる有らん
- しゅうちゅうのさく<たかすぎとうこう>
- きみみずやししてちゅうきとなる かんしょうこう
- れいこんなおあり てんぱいのみねに
- またみずやいしをいだいてながれにとうずる そのくつぺい
- いまにいたるまでひとはかなしむ べきらのこう
- いにしえよりざんかん ちゅうせつをがいし
- ちゅうしんきみをおもうて みをおもわず
- われもまたへんたく ゆうしゅうのし
- にこうをおもいおこして なみだむねをうるおす
- うらむことをやめよむなしく ざんかんのためにしするを
- おのずからこうせいぎろんの こうなるあらん
字解
-
- 君不見
- あなた方は見たことはありませんか 知っているでしょう この慣用句は反語を表す「君」は読者一般を指す
-
- 忠鬼
- 忠節を貫いた神「鬼」は魂とか神をいうた
-
- 管相公
- 菅原道眞公 「相」は大臣 道眞は右大臣であったが藤原時平の讒言によって大宰府に流された
-
- 天拝峰
- 大宰府近くにあった山の名
-
- 屈平
- 楚の屈原 君に忠誠を尽くしたが讒言によって汨羅(べきら)に身を投じた
-
- 讒閒
- 告げ口を言って人をおとしいれること 讒言
-
- 貶謫
- 罪によって流されること
-
- 幽囚
- 捕らえ閉じ込められること
-
- 二公
- 屈原と道眞
意解
あなた方は知っているでしょう。死んでもなお忠誠を貫いて神となった菅原道眞公、その魂が今なお天拝山にあるということを。
またやはり知っているでしょう。国を憂いて石を抱いて流れに身を沈めた楚の屈原だが、今に至るまで人々がその汨羅の淵の忠義な出来事を悲しんでいることを。
昔から告げ口を言って人をおとしめることが忠節の士を不幸にしてきたし、忠義深い者は国や主君のことは思っても自分自身のことは思わないものである。
私もまた二人と同じように罪人として流され、囚われて閉じ込められる身の上であるので、二人のことを思い起こすと涙が胸を濡(ぬ)らすのである。
讒言によって空しく死んでいくことを恨まないようにしてほしい。自然の成り行きとして、後世に自分の忠誠心は、きっと公(おおやけ)な議論となるであろう。
作者略伝
高杉東行 1839-1867
江戸時代幕末の長州藩士(山口県)。高杉小忠太の長男として萩城下に生まれる。名は春風(はるかぜ)、字は暢夫(のぶお)、通称晋作、東行は号。幼い頃より俊才で藩校の明倫館(めいりんかん)で学んでいたが、十九歳の時に松下村塾(しょうかそんじゅく)に入り、久坂玄瑞(くさかげんずい)と双璧といわれた。のち江戸に出て昌平黌に入り、佐久間象山や横井小楠らと付き合い見聞を広め、その後明倫館舎長となった。仏艦砲撃事件が起こり、藩候の命により奇兵隊を組織してこれを統監した。蛤御門の変が起こったり、また赤間関には外国軍艦が報復のため迫るなど、藩は窮地に直面した。この際に晋作の努力によって和議を成立させ、幕府の再度の長州征伐の時にも大いに活躍する。だがそれにより健康を害し、慶応三年四月、王政復古の夢を抱きつつ没す。歳二十九。