漢詩紹介

吟者:林 夕優
2017年12月掲載
読み方
- 小楠公の母を詠ず<本宮三香>
- 南朝の烈婦 姓は楠木
- 許さず我が子の茲に 腹を屠ふるを
- 櫻井の遺訓 汝忘れたるか
- 刀を奪い死を諫めて 涙目に溢る
- 正行感激して 誠忠を誓う
- 血戰幾たびか奏す 竹帛の功
- 君見ずや斯の母在りて 斯の子在り
- 忠孝兩つながら全きは 小楠公
- しょうなんこうのははをえいず<もとみやさんこう>
- なんちょうのれっぷ せいはくすのき
- ゆるさずわがこのここに はらをほふるを
- さくらいのいくん なんじわすれたるか
- とうをうばいしをいさめて なみだめにあふる
- まさつらかんげきして せいちゅうをちこう
- けっせんいくたびかそうす ちくはくのこう
- きみみずやこのははありて このこあり
- ちゅうこうふたつながらまったきは しょうなんこう
字解
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- 小楠公
- 楠正成を大楠公というのに対し 長子正行(まさつら)をいう
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- 烈 婦
- 節操のある優れた婦人 正成の夫人
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- 屠 腹
- 腹を切って死ぬ 「屠」は割(さ)く
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- 櫻井遺訓
- 櫻井の駅で父子が別れる際に遺した父の言葉
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- 奏
- 天子に申し上げる ここでは表すの意
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- 竹帛功
- 歴史に残る手柄 古代では「竹」や「帛」に文字を書いていたので書物 歴史の書物を意味する
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- 君不見
- あなた方は見たことがありませんか いや見て知っているでしょう 「君」は読者を指す
意解
南朝の中に優れた婦人がいるが、その姓は楠木で、彼女は自分の子が(湊川の戦で父が惨敗したのを追って、父の形見の短刀を持って)腹を切って自害しようとしたのを許さなかった。
母は「桜井の駅での父の遺訓をそなたは忘れたのか」といって短刀を奪い、死んではいけないと諫めたが、その目には涙があふれていた。
息子正行は母の真情に感激して、その後勤皇のために真心を捧げる覚悟も堅く、幾度も命をかけて戦いをして(北条軍の敵将高師直=こうのもろなお=との四条畷での戦いで武運つたなく散華=さんげ=したが)歴史に残る立派な功績をあげた。
あなた方は知っているでしょう。この母にしてこの子が有り、朝廷への忠誠心と母親への孝行心の両者を全うしたのはこの小楠公であることを。
備考
この詩は近体詩の平仄法にかなっていないので古詩であり、したがって平仄は問わない。韻は入声(仄韻)一屋(おく)韻の木、腹、目と上平声一東(とう)韻の忠、功、公の字が使われている。
作者略伝
本宮三香 1878-1954
明治11年10月31日千葉県香取郡津宮村(現佐原市津宮=さわらしつのみや)に生まれる。名は庸三(ようぞう)、字は子述(しじゅつ)、別に風土子(ふうどし)と称し、三香は号。幼にして漢学漢詩を学ぶ。日露の役に従軍、第三軍に属し戦場でも詩を作る。39年凱旋後故山に帰り悠々自適の生活を楽しむ。大正2年「江南吟社」を設立、のち水郷吟詠会を組織し木村岳風の日本詩吟学院の講師を委嘱されるなど作詩及び詩吟の普及に力を傾けた。 作詩五千、酒と詩を愛した。昭和29年12月29日没す。年77。