漢詩紹介

読み方
- 楠河州の墳に謁して作有り<賴 山陽>
- 攝山は逶迤として 海水は碧なり
- 吾來って馬を下る 兵庫の驛
- 想い見る兒に訣れ弟を呼び 來って此に戰う
- 刀は折れ矢は盡きて 臣が事畢る
- 北に向かって再拝すれば 天日陰る
- 七たび人間に生まれて 國賊を滅ぼさん
- 碧血痕は化す 五百歳
- 茫茫たる春蕪 大麥を長ず
- くすのきかしゅうのふんにえっしてさくあり<らいさんよう>
- せつざんはいいとして かいすいはみどりなり
- われきたってうまをくだる ひょうごのえき
- おもいみるこにわかれおとうとをよび きたってここにたたかう
- とうはおれやはつきて しんがことおわる
- きたにむかってさいはいすれば てんじつくもる
- ななたびにんげんにうまれて こくぞくをほろぼさん
- へっけつこんはかす ごひゃくさい
- ぼうぼうたるしゅんぶ たいばくをちょうず
字解
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- 楠河州
- 楠木河内守正成 正成は国守であった
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- 攝 山
- 摂津(現在の大阪府の一部と兵庫県の一部)の国の山々
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- 逶 迤
- 長く曲がりながら続く
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- 兵庫驛
- 湊川
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- 臣 事
- 臣下としての任務
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- 碧 血
- 忠臣・志士が正義を目指して流す血 その血は濃い青色といわれる
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- 春 蕪
- 春の雑草 ここでは春の野
意解
摂津の国の山々は長く曲りながら続き、瀬戸の海は碧々としている。私は今この兵庫の駅といわれる湊川にやって来て馬を降りた。
そこで昔日の戦いを想い浮かべてみると、正成公は桜井の駅で我が子の正行(まさつら)と訣別し、弟の正季(まさすえ)を携えてこの地にやってきて、(押し寄せる足利の大軍を引き受けて)激しい戦いを繰り広げられ、ついに刀は折れ矢は尽きて家臣としての務めも最後と悟られた。
そして正季とともに北の方皇居に向かって再拝すると、太陽は兄弟の意に背くかのように曇っていて、このとき「七度人間に生まれて国賊を亡ぼさん」と誓いながら正季と刺し違えて自刃した。
あれから500年、当時流した碧(あお)い血のあとは緑色に変化して、果てしなく続く春の野に大麦を生い茂らせているのである。
備考
1797年(寛政9年)18歳の時、江戸遊学途上の作といわれ、1824年(文政7年)手を加えて定稿とした。 この詩は古詩の形による長篇三十五句の中の二十三句から三十句までの八句で、九字句を一句混じえている。韻は入声(仄韻)十一陌(はく)韻の碧、驛 、麥と入声(仄韻)四質(しつ)韻の畢、入声十三職(しょく)韻の賊の字が使われている。
作者略伝
賴 山陽 1780-1832
名は襄(のぼる)、字は子成(しせい)、号は山陽。安永9年12月大坂江戸堀に生まれた。父春水は安芸藩の儒者。7歳の時叔父杏坪について書を読み、18歳で江戸に遊学した。21歳京都に走り脱藩の罪により幽閉される。のち各地を遊歴し天保3年9月病のため没す。年53。
著書に「日本外史」「日本政記」「日本楽府(がふ)」などがある。