漢詩紹介

識天意  西郷南洲

読み方

  •  天意を識る <西郷 南洲>
  • 一貫す 唯唯の諾
  • 従来 鉄石の肝
  • 貧居 傑士を生じ
  • 勲業 多難に顕る
  • 雪に耐えて 梅花麗しく
  • 霜を経て 楓葉丹し
  • 如し能く 天意を識らば
  • 豈敢えて 自ら 安きを謀らんや
  •  てんいをしる  <さいごう なんしゅう>
  • いっかんす いいのだく
  • じゅうらい てっせきのかん
  • ひんきょ けっしをしょうじ
  • くんぎょう たなんにあらわる
  • ゆきにたえて ばいかうるわしく
  • しもをへて ふうようあかし
  • もしよく てんいをしらば
  • あにあえて みずから やすきをはからんや

語句の意味

  • 天 意
    自然の道理 天の道理
  • 唯唯諾
    「はい」「はい」という承諾の返事
  • 鉄石肝
    堅い精神 「鉄石」は堅いもののたとえ 「肝」は心 精神 意志
  • 傑 士
    すぐれた人物 偉大な人物
  • 勲 業
    立派な功績 手柄
  •  豈
    反語を表す表現で「あに……んや」と読む

詩の意味

 「はい」と言って一度承諾したことは、どのような事態になろうとも最後まで貫き通さなければならない。それには、昔から鉄石のような堅固な精神が必要である。

 貧しい生活が偉大な人物を生み出し、立派な業績も、多くの困難を乗り越えてこそ生まれるのである。

 (古書にもあるように)梅花は厳冬の雪の中に耐えてこそ麗しく咲き、楓の葉は幾たびも冷たい霜の厳しさを凌いで赤く色づくではないか。

 君がもし(このように辛苦の末に成果が表れるという)天の道理を知っているなら、どうして安逸に耽(ふけ)っていることができようか。いやできないはずだ。

出典

「西郷隆盛漢詩集」

備考

 本題は「外甥(がいせい)政直に示す」であるが、本会では「天意を識る」を採用した。この詩は妹の長男、市来(いちき)政直がアメリカ留学する際に贈った詩で、異郷の地で独り生きるということはいろんな困難を伴うが、一旦留学を決意したからには、途中で挫(くじ)けることなく最後まで初心を貫く覚悟が必要だと、励ましの気持ちを込めた詩である。特に第五句と六句を重要視した西郷は色紙に書いて持たせている。

鑑賞

  さて西郷の「天意」とは

 幕末の人傑西郷南洲にふさわしい堂々とした詩である。他の多くの彼の詩や活躍ぶりから鑑みると甥の青年に示した天意というのは、不言実行を守り、艱難辛苦を恐れず耐え抜くことの大切さを教え込もうとしている。説得力のある詩である。

 ただ「一貫」「唯」の単語があるからといって「論語」の里仁編の「吾が道は一以て之を貫く」と結びつけて考える必要はない。孔子は人生で大切なことは忠(まごころ)と恕(おもいやり)であると説き、南洲は国難に向かう人物の育成を眼目においている。

詩の形

 この詩は近体詩の平仄法にかなっていないので五言古詩であり、したがって平仄は問わない。韻は上平声十四寒(かん)韻の肝、難、丹、安の字が使われている。

作者

西郷南洲  1827~1877

  江戸末期から明治初期の政治家

 薩摩藩士。文政10年、鹿児島市下加治屋町に生まれる。名は吉之助(きちのすけ)、通称は隆盛(たかもり)、南洲は号である。安政元年(1854)島津藩主島津斉彬(なりあきら)の側近に抜擢(ばってき)された。水戸藩の学者藤田東湖に師事した。維新に大きな功績があり、近衛都督、陸軍大将まで進んだ。後、韓国への使節派遣問題で岩倉具視、大久保利通らと対立し、郷里の鹿児島に帰った。帰郷後、私学校を創設し、子弟の教育に努力したが、各地で士族の反乱が相続き、政府は西郷隆盛に警戒の目を向け、これに反発した私学校生徒が激し、西南戦争に発展した。明治10年9月24日、故郷城山で戦死。享年51。