漢詩紹介

読み方

  • 述懷<賴山陽>
  • 十有 三春秋
  • 逝く者は 已に水の如し
  • 天地 始終無く
  • 人生 生死有り
  • 安んぞ 古人に類するを得て
  • 千載 青史に列せん
  • じゅっかい<らいさんよう>
  • じゅうゆう さんしゅんじゅう
  • ゆくものは すでにみずのごとし
  • てんち しじゅうなく
  • じんせい せいしあり
  • いずくんぞ こじんにるいするをえて
  • せんざい せいしにれっせん

字解

  • 春 秋
    歳月
  • 何とかして
  • 古 人
    昔の偉人
  • 青 史
    歴史 紙のなかった時代に竹の青皮を火に炙(あぶ)って油を抜き その上に記録したことによる

意解

 自分の13年の歳月は、行く川の流れのように瞬く間に去ってしまった。
 天地は永久不変で始まりも終わりも無いが、人生ははかないもので、生まれたものは必ず死ななければならない。
 限りある生を受けた以上、何とか努力して昔の偉人のようになって、千年の後までも歴史に残るような立派な仕事を成し遂げたいものである。

備考

 この詩は寛政5年(1793)賴山陽13歳の正月、将来の志望を確定して作ったものであり、「癸丑歳偶作」 (きちゅうのとしぐうさく)と題されている。この詩を江戸にいた春水に送ったところわが子ながら志の大きいこと、見事な 詩想に感心した。また 「昌平黌」の教授であった柴野栗山に見せるとおおいに感心し、山陽の将来に嘱望したといわれる。
 詩の構造は五言古詩の形であって、上声四紙(し)韻の水、死、史の字が使われている。

作者略伝

賴 山陽 1780-1832

 名は襄(のぼる)、字は子成(しせい)、号は山陽。安永9年12月大坂江戸堀に生まれた。父春水は安芸藩の儒者。7歳の時叔父杏坪について書を読み、18歳で江戸に遊学した。21歳で京都に走り、脱藩の罪により幽閉される。のち各地を遊歴し、天保3年9月病のため没す。年53。
 著書に「日本外史」「日本政記」「日本楽府(がふ)」などがある。

参考

 「論語」子罕(しかん)篇に「子在川上曰、逝者如斯夫、不舎昼夜。」(子川上に在りて曰く、逝く者は斯くのごときかな、昼夜を舎=お=かず。)とあり、「文選」(もんぜん)巻十曹子建の送応氏詩に「天地無終極、人命若朝霜。」(天地に終極無く、人命は朝霜のごとし。)とある。