漢詩紹介

読み方
- 母を送る路上の短歌(2-2)<賴山陽>
- 母に一杯を獻じて 兒も亦飲む
- 初陽店に滿ちて 霜已に乾く
- 五十の兒に 七十の母有り
- 此の福人間得ること 應に難かるべし
- 南去北來 人織るが如きも
- 誰人か我が兒母の 歡びに如かんや
- ははをおくるろじょうのたんか<らいさんよう>
- ははにいっぱいをけんじて じもまたのむ
- しょようみせにみちて しもすでにかわく
- ごじゅうのじに しちじゅうのははあり
- このさいわいにんげんうること まさにかたかるべし
- なんきょほくらい ひとおるがごときも
- たれびとかわがじぼの よろこびにしかんや
意解
途中茶店で母に一杯の湯茶を差し上げ、自分も一服するうちに、朝日が店の前にいっぱい差し込んで、霜がやがて乾いていく。
50歳のせがれに70歳の母があり、この幸せは世間ではめったに得られるものではない。
旅人は織るように大勢茶店の前を往き来するが、誰が我々親子のように楽しい旅をしているものがあるだろうか。
備考
この詩は文政12年(1829)2月、父春水の十三回忌の法要のため広島へ帰り、3月7日母を奉じて京都に至り、各地を見物、10月20日京都を出発し尾道まで送る(それより先は母を再従弟=またいとこ=に託した)その時の路上の所感である。
詩の構造は五言8句と七言6句とで構成された古詩の形であって、韻は上平声十五刪(さん)韻の還と上平声十四寒(かん)韻の寒、跚、安、乾、難 、歡の字が通韻して使われている。
作者略伝
賴 山陽 1780-1832
名は襄(のぼる)、字は子成(しせい)、号は山陽。安永9年12月大坂江戸堀に生まれた。父春水は安芸藩の儒者。7歳の時叔父杏坪について書を読み、18歳で江戸に遊学した。21歳京都に走り、脱藩の罪により幽閉される。のち各地を遊歴し、天保3年9月病のため没す。年53。
著書に「日本外史」「日本政記」「日本楽府(がふ)」などがある。
参考
「山陽道」について
五畿七道の一。播磨(はりま)・美作(みまさか)・備前・備中・備後・安芸(あき)・周防(すおう)・長門(ながと)の8カ国を通ずる街道。