漢詩紹介
読み方
- 曾我兄弟<松口月城>
- 富士の山風 雨を交えて吹く
- 上天此の夕べ 二兒を憐れむ
- 篝火の影は淡し 裾野の陣
- 警柝響は遠ざかる 狩屋の帷
- 十有八年 朝又暮
- 憤恨涙を呑む 知る者は誰ぞ
- 枕を蹴って喚び起こす 仇祐経
- 白刃一閃 思いを晴らすの時
- 雨止み風収まりて 雲月を吐く
- 凄壯照らし出だす 兄弟の姿
- そがきょうだい<まつぐちげつじょう>
- ふじのやまかぜ あめをまじえてふく
- じょうてんこのゆうべ にじをあわれむ
- かがりびのかげはあわし すそののじん
- けいたくひびきはとおざかる かりやのまく
- じゅうゆうはちねん あさまたくれ
- ふんこんなみだをのむ しるものはたれぞ
- まくらをけってよびおこす かたきすけつね
- はくじんいっせん おもいをはらすのとき
- あめやみかぜおさまりて くもつきをはく
- せいそうてらしいだす きょうだいのすがた
字解
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- 上 天
- 上帝 天帝 天の神
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- 警 柝
- 警備巡回の拍子木
-
- 憤 恨
- 恨みいきどおる
-
- 雲吐月
- 雲の間から月が出る
-
- 凄 壯
- すさまじい程の勇ましさ
意解
富士の山風は雨を交えて吹き、この闇夜こそ天の神が二児を憐れみ与えたよい機会である。
裾野の陣の篝火は影も淡く、警護の拍子木の音も狩屋の幕から遠ざかっていく。
兄弟が朝に晩にこの18年、恨みいきどおり、涙を耐えてきたことを誰が知っていたであろうか。
仇祐経の陣屋にしのびこみ、枕を蹴って喚び起こし、白刃一閃積もる父の怨みを晴らした。
折しも雨はやみ、吹き荒れていた風も収まって、雲間よりもれ出ずる月はすさまじい程の勇ましい二人の姿を照らし出した。
備考
この詩は源頼朝が富士の裾野で家臣と共に狩りをした時、曾我十郎祐成(すけなり)、弟五郎時致(ときむね)が 、父河津三郎の仇、工藤祐経を討ち取った場面を詠じたものである。伊東の領地争いが発端となり結局河津が工藤に討たれ18年後に仇討ちが果たされ た。
詩の構造は七言古詩の形であって、韻は上平声四支(し)韻の吹、兒、帷、誰、時、姿の字が使われている。
作者略伝
松口月城 1887-1981
名は榮太(えいた)、号は月城。明治20年福岡県筑紫郡那珂川町今光に生まれる。熊本医学専門学校を卒業し18歳にして医師となり世人を驚かせた秀才である。医業のかたわら漢詩を宮崎来城に学び、詩、書画、共に巧みであった。
なお本会顧問を永年つとめられる。昭和56年7月16日没す。年95。
参考
日本三大仇討
【曾我兄弟の仇討】1193年(建久4年6月)曾我十郎祐成・弟五郎時致が、父河津三郎の仇工藤祐経を討つ
【伊賀越の仇討=鍵屋の辻】1634年(寛永11年11月)荒木又右衛門が、備前池田の臣渡辺数馬の弟源太夫の仇、河合又五郎を討つ
【赤穂浪士の討ち入り】1702年(元禄15年12月)大石内蔵助を中心に、赤穂浪士47人が、吉良邸に討ち入り主君浅野長矩の仇、吉良上野介を討つ