漢詩紹介

読み方
- 筑摩河<賴山陽>
- 西條山 筑摩河
- 越公は虎の如く 峡公は蛇
- 汝螫さんと欲す 吾已に噉わん
- 八千騎 夜暗を衝く
- 暁霧晴れ 大旗掣く
- 両軍搏ち 山裂けんと欲す
- 快劍陣を斫って 腥風生ず
- 虎吼え蛇逸し 河雪を噴く
- 傍に毒龍の 其の蹷くを待つ有り
- ちくまがわ<らいさんよう>
- さいじょうざん ちくまがわ
- えつこうはとらのごとく きょうこうはじゃ
- なんじささんとほっす われすでにくらわん
- はっせんき よるやみをつく
- ぎょうむはれ たいきひく
- りょうぐんうち やまさけんとほっす
- かいけんじんをきって せいふうしょうず
- とらほえじゃいっし かわゆきをふく
- かたわらにどくりょうの そのつまずくをまつあり
字解
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- 西條山
- 信濃にあり 上杉謙信の陣した山
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- 筑摩河
- 信濃にあり(現 千曲川) 武田信玄は謙信を防いで筑摩河の側に陣す
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- 越 公
- 上杉謙信が越後を領した故に越公という
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- 峡 公
- 武田信玄が甲斐を領した故に甲斐公として峡の字をあてる
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- 八千騎
- 謙信麾下(きか)の兵をいう
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- 快 劍
- 謙信が将に信玄を斬り下さんとした事をいう
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- 虎吼蛇逸
- 虎は謙信 蛇は信玄をさす
意解
そのとき謙信は西條山に出陣、対する信玄は筑摩河に陣していた。峡公が長蛇であれば越公は猛虎である。「貴様が螫しに来れば俺はってやる。」
謙信軍は八千騎の兵に枚(ばい)をふくませ、暗にまぎれ筑摩河を渡った。朝靄(もや)の晴れた時、かの軍勢の大旗は信玄の陣を圧して立っていた。これまで幾たびか機を逸した謙信は、この度こそ信玄と雌雄を決せんものとせまり、あわや一撃の下に彼をきろうとしたが、信玄はからくも鉄軍扇でこれを防ぎ、果すことは出来なかった。
かく猛虎と長蛇が死力を尽くして戦っている時、その傍らにほくそ笑みつつ、その蹷き倒れるのを待つ毒龍(織田信長を指す)が、わだかまっていることを知っている者があったろうか。時に永禄4年9月のことであった。
備考
この詩は賴山陽が日本国史を詠じた「日本楽府(がふ)」の一つである。
作者略伝
賴 山陽 1780-1832
名は襄(のぼる)、字は子成(しせい)、号は山陽。安永9年12月大坂江戸堀に生まれた。父春水は安芸藩の儒者。7歳の時叔父杏坪について書を読み、18歳で江戸に遊学した。21歳で京都に走り、脱藩の罪により幽閉される。のち各地を遊歴し、天保3年9月病のため没す。年53。
著書に「日本外史」「日本政記」「日本楽府」などがある。