漢詩紹介

読み方
- 楠帶刀の歌(2-2)<元田永孚>
- 北のかた四條を望めば 妖氛黑し
- 賊將は誰ぞや 高師直
- 渠が頭を獲ずんば 臣が頭を授けん
- 皇天后土 臣が臆を鑒みよ
- 成敗は天なり 言う可からず
- 一氣磅礴して 萬古に存す
- 君見ずや芳野廟板 舊鑿の痕
- 今に至るまで生活す 忠烈の魂
- くすのきたてわきのうた<もとだえいふ>
- きたのかたしじょうをのぞめば ようふんくらし
- ぞくしょうはたれぞや こうのもろなお
- かれがこうべをえずんば しんがこうべをさずけん
- こうてんこうど しんがおもいをかんがみよ
- せいはいはてんなり いうべからず
- いっきほうはくして ばんこにそんす
- きみみずやよしのびょうはん きゅうさくのあと
- いまにいたるまでせいかつす ちゅうれつのたましい
字解
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- 妖氛黑
- 悪い気 あやしい気が黒くたちこめている
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- 皇天后土
- 天地の神々 天地神明
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- 鑒臣臆
- 正行の決意をよくみてください
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- 一 氣
- 一片の忠義の心
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- 磅 礴
- ひろがるさま
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- 萬古存
- 後の世までもある
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- 芳野廟板
- 芳野の如意輪堂の板壁
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- 舊鑿痕
- 矢じりで書いた和歌と一族の名前
意解
北の方、四條畷の辺りを望めば、あやしい気が黒くたちこめている。賊の大将は誰かといえば高師直である。
彼の首を討ち取ることができないなら、わが正行の首を与えよう。天地神明、決意の心をよくご覧ください。
勝負は天のみが知るところ、とやかく言うべきことではない。正行の一片の忠義の心は、天地の間にひろがって万世の後までも続いている。(かくして四條畷の戦いで最期をとげた)
皆さんご覧なさい、如意輪堂の鏃のあとは、今日まで忠義の魂が生きつづけているではないか。
備考
この詩は明治10年(1877)秋、吹上御苑内での菊花の宴の時、天皇の御命により自ら吟じたもので楠正行の忠節を称えた歌である。
詩の構造は古詩の形であって、韻は次の通りである。
第1句 入声六月(げつ)韻の骨
第2・4句 入声九屑(せつ)韻の熱、裂
第5・6・8・10句 上平声四支(し)韻の茲、垂、詞、離
第11・12・14句 入声十三職(しょく)韻の黑、直、臆
第15・16・18句 上平声十三元(げん)韻の言、存、魂
の字が使われている。
作者略伝
元田永孚 1818-1891
字は子中(しちゅう)、伝之丞(でんのじょう)と称し東野(とうや)と号す。幕末明治の漢学者。文政元年熊本市に生まれる。幼にして学を好み13歳にして詩を作り、進んで修身治国の学に志す。明治4年宮中に入り累進して、明治天皇の侍講(じこう)となる。人に接する時は春風のように和気靄然(あいぜん)として、聖上の恩遇厚く時々共に吟詠を楽しむ。帝国憲法、皇室典範、教育勅語の草案起草にも加わり、「幼学綱要」の編纂にあたった。明治24年、特旨により男爵を授けられた。著書に「東野詩集」がある。明治24年1月74歳にて没す。
参考
「かへらじとかねて思へば梓弓
なきかずにいる名をぞとどむる」
≪字解≫
梓弓「いる」の枕詞
「いる」は射る・入るの掛詞
武器の名を出すことにより、書き留める「名」が兵(つわもの)の名であることや戦場に赴く決意を暗示する。
≪歌意≫
梓弓で射た矢が返ってこないように、生きては帰ることはあるまいと決心したから、あらかじめ過去帳に我らの名を書き留めるのである。
「太平記」によると正行が摂津で北朝軍を破った翌年正平(しょうへい)2年(1347)足利尊氏は高師直ら6万の軍勢を淀川西岸に集結。正行は決戦を前に弟正時ら一族を率いて吉野行宮(あんぐう)に参上、後村上天皇より「朕汝を以て股肱(ここう=手足となる家来)とす。慎んで命を全うすべし」との仰せをいただいた。その後、後醍醐天皇の御廟に参り如意輪堂の壁板に143人の名を記しこの歌を書き記すとある。