詩歌紹介

CD③収録 吟者:原 江龍
2015年7月掲載
読み方
- 敷島の<本居宣長>
- 敷島の やまと心を 人とはば
- 朝日に匂ふ 山さくら花
- しきしまの<もとおりのりなが>
- しきしまの やまとごころを ひととわば
- あさひににお(お) やまざくらばな
語意
-
- 敷島の
- 大和・日本の枕詞(まくらことば)
-
- 匂ふ
- 映える
歌意
敷島の国やまとの人々を特色づける大和心について尋ねられたなら、私はそれを、朝日に映える山ざくらの花と答えよう。
出典
61歳の自画像で自らの讃
作者略伝
本居宣長 1730─1801
享保(きょうほう)15年ー享和(きょうわ)元年、伊勢の松阪に生まれ、幼名を富之助のち栄貞(よしさだ)といい、初めは医学を学ぶため、京都に遊学。号を春庵、名を宣長と改める。漢文学を堀景山に学び、僧、契仲(けいちゅう)により古典学の研究の影響を受け、また、賀茂眞淵(かものまぶち)の門に入り「古事記伝」を起稿完成。「源氏物語玉の小櫛」その他著書多い。江戸中期の国学者。享和元年9月29日病により没す。年72。
備考
明るい春の朝の日ざしの中に、咲き映える桜。宣長は、この朝日と桜の対応の中間に、照り映えた純美(じゅんび)な渾然(こん ぜん)とした理屈ぬきの美しさを、大和心と見ていたと言えよう。
宣長がこの歌を詠じた心の奥底には、「ありのままの姿と姿を好ましく思い」自らも又「ありのままの心」で対面したいという思いがあったと考えら れる。ありのままの姿を、ありのままの境地で見る心が「やまとごころ」であり、対面する物が美しければ美しい程「あわれ」の思いが高まるであろうし、反面に醜(しゅう)であってもこの心が働くはずである。雄雄しさ、勇ましさではなく、まして散りざまのいさぎよさは予定されていない。