詩歌紹介

吟者:中谷 淞苑
2011年6月掲載

読み方

  • しずかさや いわにしみいる せみのこえ

句意

 岩石が重畳(ちょうじょう)した山上には立石寺(りっしゃくじ=りゅうしゃくじともいう)がある。辺りには松柏の老樹がそびえ土石にも苔が生え、文殊堂、薬師堂などすべて扉がしまっていて物音も聞こえず佳景寂寞(かけいせきばく)としている。その静かさの中で聞く蝉の声は、まわりの岩にしみ透ってゆくように一層静寂を引き立たせ、心澄みゆくのを覚える。

季語

 蝉─夏

出典

 「奥の細道」俳文紀行。元禄15年(1702)刊。
 元禄2年(1689)3月末、門人曾良(そら)を連れて江戸から奥羽・北陸をまわり9月はじめに大垣に着くまでの約5か月、約2500キロメートルの旅行記である。西行や宗祇(そうぎ)を慕った作者が、その人々の体験した旅の世界を自分も経験しようとしたものだけに、この作品は彼の俳諧の精神を知るのに貴重なものである。
 文体は和文脈・漢文脈をまじえた独特のもので破格の表現も用いられている。作者の五つの紀行文のうち最後のもので日本文学史上第一等の紀行文として定評がある。

作者略伝

松尾芭蕉 1644─1694

 江戸時代前期の俳人。伊賀(三重県)上野の人。
 城主一族の藤堂良忠(とうどうよしただ=俳号蝉吟=せんぎん)につかえて俳諧の影響を受け、蝉吟の死後、京都で俳諧・古典を学びさらに江戸に出て深川の芭蕉庵に住み、俳諧師として身を立てた。
 当時盛んだった談林(だんりん)派の俳風にあきたらず自然や人間の生活の中に古典文学の美の精神を新しくさがし出した蕉風という新しい俳風をうち立てた。元禄7年(1694)大阪にて風邪と過労が原因で客死。年51。

備考

 「立石寺」 山形市にあり、清和天皇の勅願(ちょくがん)により慈覚大師(じかくだいし)が開いた天台宗の霊場。比叡山から移したといわれる法灯の火が600年もの間消えることなく燃えつづけている。