詩歌紹介

吟者:藤本 曙冽
2011年12月掲載
読み方
- 道程<高村光太郎>
- 僕の前に道はない
- 僕の後ろに道は出来る
- ああ、自然よ
- 父よ
- 僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
- 僕から目を離さないで守る事をせよ
- 常に父の氣魄を僕に充たせよ
- この遠い道程のため
- この遠い道程のため
- どうてい<たかむらこうたろう>
- ぼくのまえにみちはない
- ぼくのうしろにみちはできる
- ああ、しぜんよ
- ちちよ
- ぼくをひとりだちにさせたこうだいなちちよ
- ぼくからめをはなさないでまもることをせよ
- つねにちちのきはくをぼくにみたせよ
- このとおいどうていのため
- このとおいどうていのため
語釈
-
- 道 程
- あるところに行き着くまでの道のり 距離
-
- 廣 大
- 広く大きい
-
- 氣 魄
- 激しい気力 精神力 強いこころ
通釈
私の進もうとしている芸術や人生の道には、目的地であるという具体的なものは見えてこない。私が進んできた後に新しく自ら開拓してきた道が出来てくる。
ああ 父なる自然よ、私を甘やかさずに、突き放して、一人立ちにさせてくれた広く大きい父・自然よ。
私から目を離さないで見守り、励ましてください。常に父・自然の気魄を私に充たしてください。
この長い未来の遠くけわしい道のりを生きぬいて行くために…
出典
詩集「道程」
作者略伝
高村光太郎 1882─1956
大正、昭和前期の詩人。彫刻家。高村光雲の長男で東京生まれ。本名光太郎(みつたろう)。東京美術学校彫刻科・同研究科卒。在学中から新詩社に加入、「明星」に短歌を発表したが、明治39年彫刻研究のため渡航。明治42年帰国後「パンの会」に参加、詩作に励む。
大正3年詩集「道程」を刊行。同年、長沼智恵子と結婚。昭和13年智恵子52歳で病没、光太郎56歳。3年後の昭和16年詩集「智恵子抄」を刊行し反響を得る。
昭和31年4月没。年73。
備考
この詩は大正3年2月9日作で、原形となる詩は102行の詩で「美の廃墟」の3月号に発表され、その凝縮した9行詩は大正3年10月、自費出版の第一詩集「道程」に掲載された。