詩歌紹介

読み方
- 小板橋 <ゆふちどり=石上露子>
- ゆきずりのわが小板橋
- しらしらとひと枝のうばら
- いづこより流れか寄りし
- 君まつと踏みし夕に
- いひしらず沁みて匂ひき
- 今はとて思い痛みて
- 君が名も夢も捨てむと
- 嘆きつつ夕渡れば
- あゝうばらあともとどめず
- 小板橋ひとりゆらめく
- こいたばし <ゆうちどり=いそのかみつゆこ>
- ゆきずりのわがこいたばし
- しらしらとひとえのうばら
- いずこよりながれかよりし
- きみまつとふみしゆうべに
- いいしらずしみてにおいき
- いまはとておもいいたみて
- きみがなもゆめもすてんと
- なげきつつゆうべわたれば
- ああうばらあともとどめず
- こいたばしひとりゆらめく
語句の意味
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- 小板橋
- 露子の故郷である大阪府富田林市の石川にかかる小板橋
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- ゆきずり
- いつも行き来している
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- うばら
- 野ばら
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- 寄りし
- 「し」は過去を表す助動詞 次の「踏みし」の「し」と「匂いき」の「き」も同じ
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- 踏みし
- 「踏」は〈時を過ごす〉と〈橋に足を踏み入れる〉の掛詞(かけことば)
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- いひしらず
- いいようもない
詩の意味
(あの人を待つために)夕暮れ近く石川にかかる小さな板橋まで来た。この橋は私がいつも行き来してきた橋。渡りがてらに立ち止まって、ふと橋の下をのぞくと、白い花をつけた野ばらの一枝(ひとえ)がどこからか流れ寄り、ただよいながら橋げたにかかっていた。板橋の上で恋人を待ってたたずむと、その野ばらは、暮れ残る斜陽に映え、しらしらと輝きほのかに匂って私の心に沁み入った。
もう今はあの人と会えない。あなたの名前も私の夢もみんな捨ててしまおう。そう思いながら今もまた小板橋を渡ってみる。ああ、そこには野ばらもあとかたもなく、ゆらゆら橋がゆれているだけ。川面も私の心も悲しみにゆれている。
出典
「明星(みょうじょう)」
鑑賞
ままならぬ恋路にゆらぐ女心
この詩は、第一連を恋人長田正平(おさだしょうへい)を迎えるときの歓びの歌とし、第二連はそれから何年もたった後、お家の事情で不本意な結婚をしなければならなくなり、自ら切り開こうとした未来への夢も捨てざるを得なくなった作者の悲しみの歌とする。
自らの恋情が、あとかたもなく流れ去ってしまった白くて可憐な野ばらに託されて、五七調であるが安易な抒情に流れてはおらず、清純な一編の抒情詩となっている。恋人を待ちながらも諦めていく少女の心境が、きわめて抑制的に、しかし哀切に語られており、絶唱といわれる所以であろう。「小板橋がゆらめく」のは、作者の涙が溢れてでもいるのか、傷心のあまり身体をささえきれないのであろうか……。
参考
「明星」とは
文芸雑誌。与謝野鉄幹が主宰した短歌集団「東京新詩社」の機関誌として明治33年に創刊された。花鳥諷詠を主とする古典的短歌に対しロマンチズムを鼓吹(こすい)し、短歌の革新に貢献した。同41年100号でいったん廃刊となる。これに参画した主な歌人は与謝野晶子、石川啄木、北原白秋など多数いる。
作者
ゆふちどり(石上露子) 1882~1959
大正・昭和時代の歌人・主婦
本名は杉山タカ。大阪府富田林市の旧家杉山家の長女として生まれる。幼少より古典文学に親しみ、琴、日本画、上方舞などの習い事を一流の師匠につき、全てに秀でていたといわれている。16歳のとき、家庭教師の神山薫(こうやまかおる)に出会い、近代思想の扉を開く。18歳には彼女に連れられて東京見物に行き、そこで神山の遠縁にあたる長田正平と運命的な出会いをする。20歳のころから文芸活動に精を出し、「婦女世界」などへ短編小説を投稿しはじめ、22歳のとき与謝野鉄幹の主宰する「東京新詩社」の同人となりペンネーム石上露子で「明星」に短歌を掲載する。26歳で公にした唯一の詩「小板橋」をペンネーム「ゆふちどり」で発表。同年、親の薦める人と結婚。夫の不理解によって以後20年間絶筆。50歳で短歌雑誌「冬柏(ふゆかしわ・とうはく)」にて復帰。昭和34年永眠。享年78。