338 、菅原道真作 九月十五夜および謝 枋得作 別妻子良友の読み下しについて

  • 投稿者:
    真瑞庵 愚伸
  • 地区:
    愛知県
  • 支部:
    名古屋

小生,名古屋支部津島分会に所属します現在4段の石原愚伸という者です。
この九月5段への昇段試験に臨むに当たり,課題詩として『菅原道真作 九月十五夜』,『蒲生君平作 述懐』,『謝 枋得作 別妻子良友』,『頼 鴨厓作 獄中作』の4題が課せられました。
課題詩を通読して疑問に思った事が有りますので,お尋ね方々,小生の愚見を述べたいと思います。
疑問点は2点有ります。何れも読み下しに付いてでありますが,1点は『九月十五夜』の送り仮名に付いての疑問です。2点目は『別妻子良友』の漢字の読みに付いての疑問です。
第1点目『九月十五夜』に付いて
この律詩の頚聯の読み下しは
月光ハ鏡ニ似テ 罪ヲ明ラカニスルコト無ク,風気ハ刀ノ如クニシテ 愁ヲ破ラズ
と読まれています。此れを解釈しますと
此処、筑紫の国に今夜も綺麗な月が出ている。月の光は全ての物を照らし出して明らかにしてくれる鏡に似ていると言われているので、私の無実を証明してくれない。外吹く風は秋の近い事を告げるように冷たく研ぎ澄まされた刀のようで,私のこの深く沈んだ気持ちから解き放ち,寂しさを断ち切っては呉れない。
と解する事になります
ところが意解での説明は
『つきは鏡のように全てを写し出すと言われているのに』
『風は刀のように鋭く研ぎ澄まされているのに』
となっています。
 テキストの『似テ』、『如クニシテ』
との読みでは『のに』,『なのに』と解することは不可能ではないでしょうか。この一聯を散文に書き換えますと,
雖月光似鏡、不明我無罪。『月光は鏡に似ると雖も,我の罪無きを明らかにせず。』
雖風気如刀,不破我愁。  『風気は刀の如くと雖も,我が愁いを破らず。』
となり,『のに』,『なのに』をあらわす『雖も』の文字が必要となります。詩文において『雖も』の文字を省略して作詩されている場合,読みにおいて『雖も』を表現すべき読み下しが必要で『似て』は『似るも』,『如くにして』は『如きも』と読み下さなければ誤読の感はぬぐえません。
第2点 別妻子良友に付いて
この詩の頷聯の後句の『人間』の読みについてですが,テキストでは『人間』を(にんげん)と読んでいますがこの読みにはいささか違和感を感じます。この頷聯の前句の『天下』は『てんか』と読み,場所を表しています。この聯が対句である事を考えますと『人間』も場所を表す読みで無ければなりません。とすると当然(にんげん)という物をあらわす読みではなく(じんかん)と読んで場所を言い表さなければならないのではないでしょうか。
遠い先人が作った詩です。作者に如何読むのですか等と尋ねる術を求むべくも有りません。従いまして,当然その詩を読む側の感性,解釈の違いがあるでしょう。しかし,私も漢詩大系、中国詩人選集、全唐詩等多くの詩を読んでいますが,本会テキストの九月十五夜に見られるような読みと解釈の乖離した物を見たことが有りません。
いかに,他の注釈者と異なった読みがなされていようとも,必ずその違いと注釈とは一致しています。
先日,私の分会の講師の先生を通してある著名な大阪本部の先生に尋ねていただき,そのお考えを頂きましたが、その先生も九月十五夜の『似て』と『如くにして』の読み方が他の流派の『似るも』,『如きなるも』と言う読み方との違いをお認めの上で,関西吟詩には関西吟詩独自の読み下しが有っていいのであって、何の問題も無い。ただ菅原道真の失意,無情の念を吟詠の中に表現すればいいとのお答えを寄せて頂きました。
本当に其れでいいのでしょうか。読み下し文の解釈とテキストの意解の説明とに明らかな違いがあってもいいのでしょうか。同じ2と言う答えを導き出すのに、正しくは1+1=2と教えるべき所を1+2=2と教え,此れが関西吟詩流なのだと主張しているようなものではないでしょうか。その上で,詩情豊かな吟詠をと………………!!。
巻頭言に曰く、その詩を吟ずるのみは未だし。その詩を知り,その意を悟りて完きなりと。
未熟者の私が随分失礼を省みず縷縷述べましたが,此れも漢詩を愛し,その詩を吟ずることをこよなく思っているからだとご理解を賜りたく、本部の諸先生方のお考えをお聞かせください

投稿日時: 2004/07/17 18:10:10

No.339 Re:、菅原道真作 九月十五夜および謝 枋得作 別妻子良友の読み下しについて

  • 投稿者:
    森口雪孝
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    西淀川

読み下し文と意解の不合理について、貴重なご意見を拝見しました。関西吟詩文化協会の教本についても、全て先輩からの教えを継承するだけでなく、現代の人にわかり易い表現に改める努力を続けています。愚伸さんのご意見も、教養指導部できっと検討されると思います。
以前に、近江八景の「堅田」の読み方が「カタダ」となっていましたが、地元では「カタタ」が正しく、濁らない読み方に直すべきとの意見を頂き、現在は修正されています。
ホームページにこのような貴重な意見を寄せて戴くことにより、開かれた関西吟詩文化協会となります。これからも貴重なご意見をどしどしお寄せ下さい。

投稿日時: 2004/07/22 07:54:08

No.342 Re:、菅原道真作 九月十五夜および謝 枋得作 別妻子良友の読み下しについて

  • 投稿者:
    あすなろ
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    鷹詠館

鷹詠館明朋吟詩会のあすなろです。九月十五夜の読みと意解に対する鋭い考察に感動しました。私は30数年前に、関吟に入門し、その時の教範を未だに大切に保存していますが、九月十五夜の読み方で、ご指摘の箇所以外にもう一つ疑問に思うことがあります。
「いわんやまたせんよりがいにとうずるおや」
この箇所ですね。とうずると読めば自動詞ですが、ここは左遷された道真の視点からすれば、とうぜらるるおや、と受身で読むべきではないかと考えます。
とうずるおや、と読む流派が多いと思いますが、鷹詠館では、とうぜらるるおや、と読んでいます。ただし、吟じるときは、とうずるおや、の方が吟じやすいのですが、これは馴れの問題かも知れません。

投稿日時: 2004/07/26 12:58:26

No.351 Re:、菅原道真作 九月十五夜および謝 枋得作 別妻子良友の読み下しについて

  • 投稿者:
    上田 博章(芳章)
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    布施

私も貴殿と同じ疑問を持っている者で、この九月十五日に老人大学OB会の演芸会でこの詩を吟じなければならなくなり、教本通りに吟じたら良いものかどうか思案に迷っています。 結局 関吟とは無関係な会合なので「鏡に似たるも」また「刀の如きも」と読んでみるつもりです。
私も先日「飛梅」の「残瓦怨」について投稿しているのですがお読みいただけたでしょうか?
多少作詩をかじった者として多々疑問を抱いていますこれに懲りずよろしくご意見をお聞かせ下さいませ  私のメールアドレスは h-ueda@m3.kcn.ne.jp です

投稿日時: 2004/08/16 16:31:28