本会の教本についての疑問・質問について、教本改定委員会で検討し、本部の見解が示されましたので、投稿のあった本稿で回答いたします。
Q1.九月十五夜(B8)の(五句と六句)の読みと解釈の乖離について(7/17:真瑞庵愚伸さんの質問)
A1.最新の改訂版において、読み方はそのままですが、意解を次のように修正しています。
読:「月光は鏡に似て罪を明らかにする無く」
「風気は刀の如くにして愁いを破らず」
解:「月光は鏡のように罪を明らかにしてくれない」
「風は刀のように愁いを破ってくれない」
ただ、「似鏡」「如刀」の読み方・解釈については、
⑴研文出版 日本漢詩人選集「菅原道真」には
読:「月光は鏡に似たれど罪を明らむること無し」
「風気(かぜのけ)は刀の如くして愁を破らず」
解:「十五夜の月の光は鏡のように澄みきってはいるが、その光もわたしの無実をはっきりと照らし出してはくれない」
「清く冷たい秋風は刀のように鋭く身をさすが、わたしの心の愁いを切り裂いて消し去ってはくれない」
⑵大宰府天満宮「菅家の散文」
読:「月光は鏡に似るも罪を明らむる無く」
「風気は刀の如くなるも愁ひを破らず」
解:「月の光は鏡のように明るいけれど、わたしの無までは晴らしてくれぬ」
「風は身を刺すように鋭いけれど、わたしの愁いまでは破ってくれぬ」
⑶吟剣詩舞道漢詩集(石川忠久他)
読:「月光は鏡に似たるも罪を明らかにする無く」
「風気は刀の如くなるも愁いを断たず」
解:「月は皓々と鏡のように明るく照り輝いているものの私の無実をその鏡のように晴らしてくれるわけでもなく」
「自然の風気は峻然ですべてのものを刀のように
鋭く薙ぎ払うかのようであるが、その風気の私の愁いを断ちきってはくれない」
⑷小学館「日本漢詩集」、大修館「漢文名作選」、その他の文献は、「似たれども」「如くなれども」が殆んどである。
☆漢文として「似て」「如く」と読んで間違いはなく、関西吟詩文化協会教本の改訂版における意解と読み方が一致するように改められました。
Q2.飛梅(B12)の「残瓦怨」の読み方について(8/4:上田芳章さんの疑問)
A2.吉嗣鼓山の「飛梅」における第五、六句は、菅原道真の「不出門」における第三、四句を踏まえていると思われます。
・「不出門」菅原道真
(三句)都府楼纔看瓦色
(四句)観音寺只聴鐘聲
・「飛 梅」吉嗣鼓山
(五句)都府楼空残瓦怨
(六区)観音寺静古鐘憐
二つを比較すれば内容は同意であり、「不出門」を意識していたことは明らかであります。
「怨残瓦」「憐古鐘」としたいところ押韻の関係でそのようになったと思われます。
読み方については、七言詩の下三字の場合「残瓦の怨み」「残瓦を怨み」といずれにも読むことを許されています。
☆「飛梅」の読み方、解釈については現行通りで全く問題はありません。
・関西吟詩文化協会の教本については、教本改定委員会において、見易く分かりやすい教本改定に努力しています。会員の皆さんの疑問、御意見が今後の改定に活かされるようホームページを活用して下さい。(HP委員:森口雪孝)
投稿日時: 2004/12/29 18:56:10