413 再び、教本に対する疑問

  • 投稿者:
    真瑞庵愚伸
  • 地区:
    愛知県
  • 支部:
    名古屋

森口雪孝先生、小生の疑問に対して真摯にお答え頂きまして有難うございます。
しかしながら、尚疑問点が残ります。くどいとのお叱りを承知で再び質問させて頂きたく、このページに対しています。
〔1〕 菅原道真公作九月十五夜の五句、六句月光似鏡無明罪、風気如刀不破愁の読み及び解釈について
  お答え頂きました
  読:「月光は鏡に似て罪を明らかにする無く」
  「風気は刀の如くにして愁いを破らず」
  解:「月光は鏡のように罪を明らかにしてくれない」
  「風は刀のように愁いを破ってくれない」 
 は、成程読みと意解との乖離は解消されていますガ、作者が言い表そうとした事とは離れてしまっているのではないでしょうか。前回の投稿でも述べましたが、ここでは作者道真公は『全ての物を照らし出し明らかにしてくれる月の光のはずなのに私が無実である事を照らし出してくれない。また、吹く風は身を切る程つめたく鋭いのにも拘らず私の深い愁いを切りとってはくれない』ことを訴えています。
頂きましたお答えでは、月光が鏡に似て全ての物を照らし出してくれる事と罪を明らかにしてくれないことが同列に扱われていますし、同じく風が刀のように鋭く何物をも切り取ってしまう事と無実により貶された悲しみを切り取ってくれない事とが同列として読まれていますし、解釈もそのようになっています。
お答えに有ります様に〔似〕、〔如〕を〔似て〕、〔如く〕と読むことは間違いではないでしょうが、ここでは〔はずなのに〕、〔拘らず〕との意味を表現する読みで無ければ詩文全体としては誤りであり・意も『月光は鏡に似ているのに罪を明らかにしてくれない』『風は刀のようには愁いを破ってはくれない』と解されなければなりません。従いまして〔はずなのに〕、〔拘らず〕の意を表すように
月光ハ鏡ニ似レルモ 罪ヲ明ラカニスル無ク
風気ハ刀ノ如クナルモ 愁ヲ破ラズ
と訓読しなければ為らないのではないでしょうか。
〔2〕 飛梅第五句、六句について
お答えに有りますように『残瓦怨』を《残瓦ヲ怨む》と訓読することは詩文において多く見受けられることですし、詩文の上で平仄の関係で客語と述語が入れ替わる事は認められています。しかし、ここでは5句と6句が対句であることに留意する必要が有ります。
対句の用件の一つに対を成す句の文法上の構成の一致があります。この詩文の文法上の構成を見てみますと
(五句)都府楼空残瓦怨 都府楼=主語+空=述語 残瓦=主語+怨=述語 もしくは残瓦=客語+怨=述語
(六句)観音寺静古鐘憐 観音寺=主語+静=述語 古鐘=主語+憐=述語 もしくは古鐘=客語+静=述語
と為ります。ここで五句を『残瓦ヲ怨ム』残瓦=客語+怨=述語と解して訓読するならば六句も『古鐘ヲ憐レム』古鐘=客語+静=述語
と解して訓読しなければ文法上の一致を欠く事と為り対句としての要件を満たさないことと為るのではないでしょうか。
この詩文においては素直に『残瓦怨メシク』『古鐘憐レナリ』と訓読すること妥当な気がしますが如何でしょうか。ただ、意解に大きな違いは無い事なので

投稿日時: 2005/01/11 13:11:00