6398 石川丈山作・富士山について

  • 投稿者:
    gusin
  • 地区:
    静岡県
  • 支部:
    浜松鷺長会・和らぎ

詩吟の中で「煙は柄の如し」とありますが、丈山が生きていた江戸時代の初期当時、富士山は活火山として、噴煙を上げていたのでしょうか?
ご存知の方がいましたら、教えて頂けませんか?

投稿日時: 2012/12/31 17:53:36

No.6399 Re:石川丈山作・富士山について

  • 投稿者:
    森口雪孝
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    HP委員

明けましておめでとうございます。
新年早々「富士山」についての質問書き込みありがとうございます。
富士山の周辺一帯は数百万年前から火山活動が活発であったことが知られています。その中で約70万年前、現在の富士山の位置に小御岳火山が活動を始めました。
古記録によれば新富士火山の噴火は781年以後17回記録されています。噴火は平安時代に多く、800年から1083年までの間に12回の噴火記録があります。また噴火の合間には平穏な期間が数百年続くこともあり、例えば1083年から1511年までは400年以上も噴火の記録がありません。
石川丈山は、1583(天正11年)〜1672(寛文12年)江戸初期の武人・詩人であり、この期間には大きな噴火はなかったようですが、噴気活動はあったと思われます。
1707年(宝永4年)宝永大噴火が起こりました。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させるなど特徴的な噴火でした。噴火の1〜2か月前から山中のみで有感となる地震活動が発生し、十数日前から地震活動が活発化、前日には山麓でも有感となる地震が増加しました(最大規模はマグニチュード5程度)。12月16日朝に南東山腹(今の宝永山)で大爆発を起こし、黒煙、噴石、降灰があり、激しい火山雷があったとのことです。また、その日のうちに江戸にも多量の降灰があり、川崎で5センチメートル積もっています。噴火は月末まで断続的に起きましたが、次第に弱まっていきました。山麓で家屋や耕地に大きな被害があり、噴火後は、洪水等の土砂災害が継続しました。
宝永の大噴火後、富士山では大規模な火山活動はありませんでしたが、江戸時代晩期から、昭和中期にかけて、山頂火口南東縁の荒巻と呼ばれる場所を中心に噴気活動がありました。 この活動は1854年の安政東海地震をきっかけに始まったと言われており、明治、大正、昭和中期に掛けての期間、荒巻を中心とした一帯で明白な噴気活動が存在したことが、測候所の記録や登山客の証言として残されています。 この噴気活動は明治中期から大正にかけて、荒巻を中心に場所を変えつつ活発に活動していたとされています。活動は昭和に入って低下し始めましたが、1957年の気象庁の調査においても50度の温度を記録していました。その後1960年代には活動は終息し、現在、山頂付近には噴気活動は認められていません。 しかしながら、噴気活動終了後も山頂火口や宝永火口付近で地熱が観測されたとの記録もありました。また1707年の宝永大噴火以後も約300年間噴火しておらず、平穏な状態が続いています。
(HP委員)

投稿日時: 2013/01/01 09:44:06