6449 漢詩観賞会「詩游クラブ」発表会のご案内

  • 投稿者:
    森口雪孝
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    漢詩鑑賞会「詩游クラブ」

漢詩観賞会「詩游クラブ」第三回発表会のご案内

 平成25年3月12日(火)、関西吟詩会館2階において漢詩観賞会「詩游クラブ」第二回発表会が行われました。
次回 漢詩観賞会「詩游クラブ」の第三回発表会を、下記の通り開催しますのでご案内致します。

                 記
1.日 時 : 平成25年5月14日(火) 午後2時〜4時
2.場 所 : 関西吟詩会館 2階
3.名 称 : 漢詩観賞会「詩游クラブ」第三回発表会
4.内 容 : 「富士山、泉岳寺、甲斐客中」(講師:島原湖皚)
5.会 費 : 500円
6.参加資格: 自由参加(関西吟詩会員以外の方の参加についても歓迎致します。)
7.その他  第一回、第二回は、公益社団法人関西吟詩文化協会大阪地区連合会主催で実施しましたが、第三回からは、総本部主催として開催します。
(参考)
第一回発表会における「峨眉山月(李白)」解説時に能田岳泉先生から次の詩の紹介があり、資料の提供がありましたので、参考として記載します。
【文政8年(1825)12月、峨眉山の麓に水害があり、峨眉山下橋が流され、その橋杭が岷江、長江を流れ、遠く東海を流れて玄海を北上し、出雲、若狭の沖を経て越後(新潟県)の宮川浜に流れ着いた。海に漂う角材は直径二尺、縦は一丈あり、地元の漁夫が拾い上げ、薪にしようと表に立てかけていた。遠く六千キロも流れてきた古材には「峨眉山下橋」と美しい彫刻の文字が彫られていた。それが良寛の目にとまったのであろう。良寛は恐らく李白の詩をそらんじてたのではあるまいか、次の詩を詠じた。】
  題峨眉山下橋杭  良寛
不知落成何年代   知らず 落成は 何れの年代ぞ
書法遒美且淸新   書法は 遒美 且つ淸新なり
分明峨眉山下橋   分明なり 峨眉山下の橋
流寄日本宮川濱   流れ寄る 日本 宮川の濱
【良寛研究の大家であり、日中友好漢詩協会の会長であった柳田聖山氏が、地元新潟の石材を使って良寛詩碑を作り峨眉山下に建てることを発願され、三年かけて浄財を募り詩碑を完成した。詩碑は海路宮川浜を出発、橋杭の流れとは逆に六千キロ離れた峨眉山下に運ばれ、二百年前に失われた峨眉山下橋を作り、清音閣の一画に良寛詩碑と橋柱東流図を建てた。】
資料提供ありがとうございました。

投稿日時: 2013/03/23 10:44:59