6755 森口先生へ

  • 投稿者:
    おちゃめ
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:

早速のご回答有難うございます。
藤澤黄坡先生の「巻頭言」に従って進めればとのアドバイスを頂きましたが、その心境に達するにはこの詩吟の世界に入門して10年程度の私には到底理解できません。若いころ興味の無かった漢詩の世界を生涯学習として選び漢詩を作詞していたら、この仲間が吟詠した漢詩に見せられ、この世界に入門させていただき現在に至っていますが、枠に嵌められたこの世界に限界を感じており、先のメールの如き事を開き4名の参加を得ましたが、皆様生涯学習の一貫として、拘束されず互いの勉学として集う事は賛成のようでした。
ここで困ったのは親講師の了解無きまま、同好会的な会を作り「関西吟詩」の流派のままつづけて良いものか悩んでいます。よきアドバイスお願いいたします。

投稿日時: 2014/12/10 13:12:37

No.6756 Re:森口先生へ

  • 投稿者:
    森口雪孝
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    HP委員

老人ホーム等において、関西吟詩に入会されない方を同好会的に「ボランティア」として指導されている方もおられます。
吟の道を進めるためには、親講師との「報連相(報告・連絡・相談)」が大切であることは言うまでもありません。
「吟を知った人」・「吟を好きになった人」・「吟を楽しむ人」は、吟歴で決まるものではありません。20年、30年経っても「吟を楽しむ」境地に達しない人もいれば、10年足らずで「吟を楽しむ」境地に達する人もいます。
平成26年1月25日〜26日に開催された『関西吟詩吟道大学講座(第3回)』で、室屋鷺幽副会長が講義された内容の一節を、教えることのヒントとして紹介します。
【 教学相長(きょうがくあいちょう) ず 「 正篤学人(まさひろがくじん)」 】
「學記(がくき)は、教えるということ、学ぶということの根本精神を説き、人格完成の域を示して、確乎(かっこ)として動かすことの出来ないものがある」と安岡(やすおか)正篤(まさひろ)先生は説かれる。その學記の上掲(じょうけい)文に連なる本文を次に掲げる。
玉(たま) 琢(みが)かざれば器(うつわ)をなさず、人(ひと)学(まな)ばざれば道を知らず。是(かく)の故に古(いにしえ)の王者、教学(きょうがく)を先(せん)となす。・・・嘉肴(かこう)有りと雖(いえど)も、食(くら)わざれば其(そ)の旨(うま)きを知らざるなり。至道(しどう)有りと雖も、学ばざれば、其の善(よ)きを知らざるなり。是の故に学びて然(しか)る後に足(た)らざるを知り、教えて然る後に困(くるし)むを知る。足らざるを知りて、然る後に能(よ)く自(みずか)ら反(かえるみ)るなり。困を知りて然る後に強(つと)むるなり。故に曰(いわ)く、教学相長(きょうがくあいちょう)ずるなりと。・・・教(おし)うるは学ぶの半(なかば)なりと。
『教えるということは学ぶということ。教学は表裏一体です。』
参考になれば幸いです。(HP委員)

投稿日時: 2014/12/11 14:29:19