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漢詩紹介

易水送別 駱賓王
吟者:中島菖豊
2011年1月掲載[吟法改定再録]
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読み方

 易水送別   <駱賓王> えきすいそうべつ <らくひんのう>
此の地 燕丹に別る このち えんたんにわかる
壯士 髪冠を衝く そうし はつかんむりをつく
昔時 人已に沒し せきじ ひとすでにぼっし
今日 水猶寒し こんにち みずなおさむし

字解
 此 地  易水のほとりをさす 易水は燕(えん)の西境を流れる川の名 今の 河北省保定府(かほくしょうほていふ)にあり 中部の易県に源を発する川の名で中易水(今の白澗河 で武水ともいう)南易水 北易水(澪水)という
丹は 秦の人質となったとき<幼なじみの秦王政(始皇帝)からひどい扱いをうけたという 秦王政を暗殺 するために刺客の荊軻(けいか)を見送った 此の地が易水である
 燕 丹  戦国時代の燕王喜(き)の太子 丹(たん)のこと
 壯 士   意気のさかんな者 血気にはやる男子 ここでは燕の忠臣 荊軻(けいか) のこと(一説に送別の士 という)
 髪衝冠  悲憤慷慨の極致表す常套語
 昔時人   主として荊軻をさす
  沒  死ぬこと 姿を消すこと
 今 日   作者が易水のほとりで送別する日を指す

意解
(君を見送る)この易水の地こそ、かつて刺客の荊軻が燕の太子丹と別れたところだ。そのとき忠臣荊軻の髪は いきどおりのあまり、冠をつきあげるばかりであった。(あれからもう八、九百年)。
その当時の人々は没し去ってしまったが、易水の水は今もなお、昔のままに寒寒と流れているのみである。

備考
燕の太子丹は秦王の無礼を怨み荊軻をして秦王を刺さんとし易水で送別した故事を賦したもの。荊軻は丹 に決別に際し「風は蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去って復還らず」と怒髪冠を衝き、悲歌憤慨したこ とがある。本来この詩は「於易水送人(えきすいにおいてひとをおくる)」と題して、ここで今また足下(そっか) と別れるのは荊軻その人のようであると激励したものである。
この詩は、徐敬業(じょけいぎょう)の反乱前の作で、彼の思い描く理想的な人間関係(燕の太子丹)と に対するみはてぬ夢、祈りにも似た羨望がこめられている。
この詩の構造は拗体(古詩)の形であって、平仄は論じない。韻は上平声十四寒(かん)韻の丹、冠、寒 の字が使われている。

作者略伝
駱賓王 640−684?
  初唐の詩人。太宗(たいそう)皇帝貞観14年に浙江省金華府義鳥県に生まれる。7歳でよく詩を賦す。 五言詩に巧みで帝京篇の詩で早くから世に知られた。則天武后の時しばしば上書して諌めたが聞かれず、 徐敬業(じょけいぎょう)が乱を起こすやその幕僚となり、彼の為に檄文(げきぶん)を書いて天下に 呼びかけ武后の罪を指弾した。徐、敗れて後、行方不明となる。王勃(おうぼつ)、楊炯(ようけい)、 盧照鄰(ろしょうりん)と並んで初唐四傑と称せられる。



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