漢詩紹介

吟者:原 江龍
2021年8月掲載
読み方
- 汪倫に贈る <李 白>
- 李白舟に乗って 将に行かんと欲す
- 忽ち聞く 岸上 踏歌の声
- 桃花潭水 深さ千尺
- 及ばず汪倫が 我を送るの情に
- おうりんにおくる <りはく>
- りはくふねにのって まさにゆかんとほっす
- たちまちきく がんじょう とうかのこえ
- とうかたんすい ふかさせんじゃく
- およばずおうりんが われをおくるのじょうに
詩の意味
私李白は今、小舟に乗っていよいよ桃花潭を出発しようとしている。突如、岸の上で足を踏み鳴らしながら歌う声が聞こえてきた。
この桃花潭の水は深さが千尺もあるという。それでもその深さは、汪倫が私を送ってくれる情の深さには及ばない。
語句の意味
-
- 汪 倫
- 安徽(あんき)省涇(けい)県にある桃花潭という村の名士 酒造家でしばしば李白をもてなした人
-
- 踏 歌
- 手をつなぎ足を踏み鳴らして歌う歌
-
- 桃花潭
- 安徽省涇県にある涇川(けいせん=長江の支流)の上流の清澄な深い淵の名 「潭」は淵
鑑賞
汪倫のもてなしに心から感謝する李白
李白55歳の時の作と言われているので、玄宗に都から追放されて約10年後のことである。安禄山の乱がおこった年でもある。このころ李白は安徽省涇県の桃花潭に遊び、そこで酒造家を営む村の名士・汪倫に歓待され、しばしば美酒をふるまってもらった。このころの李白は生活にそれほど余裕があったとは思えない。だから汪倫のもてなしは、すこぶる嬉しかったに違いない。何日か当地に逗留(とうりゅう)している。旅立つ日、李白はお礼として汪倫に贈ったのがこの詩である。当時李白の名は文人仲間ではすでに大詩人として有名であった。汪倫の子孫はこの詩を家宝として大切にしたという記録もある。
本来測りようもない心の深さ。それを眼前の水の「深さ千尺」との計量的比較を通して、生き生きと実感させる巧みな着想である。「桃の花さく潭(ふち)」という地名もまたゆかしく美しい。詩の冒頭に自分の名前を詠み込む大胆さは、旅に生きる作者の旺盛なサービス精神からか。
参考
留別(りゅうべつ)の詩
送られる李白が見送る汪倫に詩を贈っている。このように送られる人が後に残る人に告げる別れの詩を「留別の詩」という。その反対は「送別の詩」。
この詩は従来、旅の詩人李白と無名の民間人との純真な友情を物語る好詩として長く愛誦され、潭のほとりには、本詩にちなむ「踏歌岸閣(とうかがんかく)」が建てられた。現在、桃花潭のほとりには汪倫の墓がある。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、下平声八庚(こう)韻の行、声、情の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
---|---|---|---|
作者
李 白 701~762
盛唐時代の詩人
四川省の青蓮(せいれん)郷の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山に籠ったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側についたため囚われ流罪(るざい)となったがのち赦(ゆる)され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。