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漢詩紹介

過壇浦 村上佛山

読み方

 壇の浦を過ぐ   <村上佛山> だんのうらをすぐ  <むらかみぶつさん>
魚莊蟹舍 雨烟と爲る ぎょそうかいしゃ あめけむりとなる
蓑笠獨り過ぐ 壇の浦の邊 さりゅうひとりすぐ だんのうらのほとり
千載の帝魂 呼べども返らず せんざいのていこん よべどもかえらず
春風腸は斷つ 御裳川 しゅんぷうはらわたはたつ みもすそがわ

字解
魚莊蟹舍   魚莊も蟹舍も漁家 漁師の家のこと
 蓑 笠   みのと笠 雨雪を防ぐもの ここではそれをつけた人のこと
 帝 魂   安徳天皇の御霊(みたま)
 御裳川   伊勢の五十鈴川 安徳天皇御入水(じゅすい)の際に御歌に「今ぞ知る御裳川の 流れには 波の底にも都ありとは」と詠まれている。今の壇浦に御裳川と称する小川があるが この詩にあてはめることは出来ない

意解
壇の浦のほとり漁師の家が点々と折からの雨に烟って見える、自分は今、雨の中を蓑笠をつけて ここを通って行く。
源平合戦で平家が滅亡したのも此処で、時の安徳天皇も御年(おんとし)8歳で入水(じゅすい)され、早くも千年にもなろうか、 いくらお呼びしても御魂はおかえりにならないのである。いとけない御身で「御裳川の流れには波の下にも都あり」 と聞いて、この浦波を渡る春風に腸のちぎれる思いがする。

備考
この詩の構造は、平起こり七言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の烟、邊、川の字が使われている。





作者略伝
村上佛山 1810−1879
  幕末、明治の漢詩人。名は剛(つよし)、字は大有、彦左ヱ門と称し晩年潜蔵と改める。遠祖は武田氏、豊前(ぶぜん 福岡県)に移住後、 代々大庄屋。佛山は儒学で身をたてんと亀井昭陽に学び、のち京都に出でて名士と交わる。脚疾(きゃくしつ)を患い、 郷に帰り塾を開く、教を乞うもの多く、身は郷里にあって名は天下にとどろいた。明治12年没す。年70。

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