漢詩紹介

CD④収録 吟者:内海快城
2016年6月掲載

読み方

  •   黄鶴楼にて孟浩然を送る  <李白>
  • 故人西のかた 黄鶴楼を辞し
  • 煙花三月 揚州に下る
  • 孤帆の遠影 碧空に尽き
  • 唯見る長江の 天際に流るるを
  •   おうかくろうにてもうこうねんをおくる  <りはく>
  • こじんにしのかた おうかくろうをじし
  • えんかさんがつ ようしゅうにくだる
  • こはんのえんえい へきくうにつき
  • ただみるちょうこうの てんさいにながるるを

詩の意味

 親しい友の孟浩然は、この西の地、武昌の黄鶴楼で別れを告げ、かすみにけむる花の咲く3月、揚州へと舟で下ってゆく。

 楼上から眺めると、ぽつんと浮かんだ友の乗る舟の帆影が青い空のかなたに消えてゆき、あとには長江の水が空の果てまで悠々と流れていくのが見えるだけである。

語句の意味

  • 黄鶴楼
    湖北省武昌(今の武漢市)の蛇山という丘にあって長江に面し絶景の眺望を誇る
  • 故 人
    旧友 ここでは孟浩然
  • 煙 花
    春霞が立ち込め花の咲き乱れている
  • 天 際
    天と地や水の接する所 ここでは水平線
  • 揚 州
    江蘇省広陵

鑑賞

   王維の「元二を送る」とともに送別の絶唱

 当時、李白は37、8、孟浩然は50歳ころ。舞台は今の武漢(武昌と漢口と韓陽の三つの町が合わさっている)。町を流れる長江右岸の武昌地区の丘の上に黄鶴楼は建っている。全体が明るく、広大な風景である。「煙花三月」「揚州(当時は花の都といわれていた)」「碧空」「長江」「天際」がそれである。その中にぽつんと友人の乗る舟が豆粒のようになって消えていく。映画のラストシーンを見るようで引き込まれる。「広大」と「豆粒」のコントラストが絶妙である。別れの悲愁を表す語を1字も用いていないのに、作者の惜別の情は十分伝わってくる。送別詩の絶唱といわれる所以である。

 送別の詩に王維の「送元二」がある。どちらも別れの悲しみをしみじみ歌いあげて、送別詩の双璧といわれている。

 黄鶴楼と広陵の位置はしっかり確かめておきたい。楼から眼下に長江が望める。当時は3層であったが現在はコンクリート製で6層になっていて、最上階の周囲には縁があり、眺望におあつらえ向きの作りである。しかしそこから眺めても、楼の高さはせいぜい30メートルほどだから、実際には長江は曲がりながら流れているので「天際に流る」ほど遠望はできない。ただ詩は空想を取り込むものであるから、その感性を駆使して、点になって消えてゆく孤帆を想像しながら鑑賞したい。

参考

  黄鶴楼の伝説

 昔、仙人がある酒屋で毎日のように酒を飲み、代金の代わりに壁に鶴を描いた。その絵に命が吹きこまれ、自分の描いた黄色い鶴に乗って飛び去った。その話が評判となり、店は大繁盛した。店主はお礼に楼閣を建てた。それが黄鶴楼であるという話。その姿は鶴が羽を広げたようで美しい。

備考

 この詩は「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)が本来の詩題であるが本会では簡略にした。また「黄鶴楼」は「こうかくろう」と読むのが多いが本会では伝統的に「おうかくろう」と読んでいる。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、下平声十一尤(ゆう)韻の楼、州、流の字が使われているが、起句の平仄が「二四不同二六同」の原則に外れているので拗体である。

結句 転句 承句 起句

作者

李 白  701~762

   盛唐時代の詩人

 四川省の青蓮郷(せいれんきょう)の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山にこもったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったがのち赦され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。