漢詩紹介
読み方
- 金陵の図 <韋荘>
- 江雨霏霏として 江草斉し
- 六朝夢の如く 鳥空しく啼く
- 無情は最も是 台城の柳
- 旧に依って煙は籠む 十里の隄
- きんりょうのず <いそう>
- こううひひとして こうそうひとし
- りくちょうゆめのごとく とりむなしくなく
- むじょうはもっともこれ だいじょうのやなぎ
- きゅうによってけむりはこむ じゅうりのつつみ
詩の意味
長江の春雨はしとしとと降りしきり、川辺の草は青々と一様に茂っている。六朝時代の栄華は夢のようにはかなく消え去ってしまい、小鳥もこれを悲しんでか、空しくさえずっている。
一番無情を感じさせるのは、六朝時代に植えられたこの台城の柳で、昔のままに靄が立ち込める十里の長い堤に煙っていることである。
語句の意味
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- 金 陵
- 南京の古称 六朝時代の都
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- 江 雨
- 長江にふりそそぐ雨
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- 霏 霏
- 雨や雪などが細かくしとしとと降りしきるさま
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- 六 朝
- 呉、東晋、宋、斉、梁、陳(ご、とうしん、そう、せい、りょう、ちん)の6つの王朝 3世紀後半から6世紀後半に至る約300年間
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- 台 城
- 宮城 六朝時代の天子の御所
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- 依 旧
- 昔のまま
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- 煙
- もや かすみ
鑑賞
300年前の金陵に思いを寄せる
金陵は六朝時代の都。その春景色を描いた図を前にして、六朝時代300年の栄華を偲んだ懐古詩である。その図には江雨、江草、啼鳥などの春景色を背景に、とりわけ台城の柳が鮮明に描き込まれていたのであろう。江雨、江草、啼鳥、柳などの自然は、人事、政事は変わっても、不変であるという懐古詩の構図である。中国の町には至る所に柳が植えられているが、そこには中国人の独得の思い入れがあろうと思われる。それを読者は想像しながら歴史を語る昔のままの長い堤に往時を偲んで作者の感傷をくみとろう。ただ韋荘は長安地方や四川省に長く住まいしたので、実際に金陵の町を知っていたかどうかは疑わしい。
備考
六朝文化について
六朝文化時代は優雅な貴族文化が開花した。特に東晋時代は洛陽、長安の文化を南遷させたものが多く、また江南地方は気候も良く、経済的に豊かであったので富裕層が増した。従って文化も盛んになった。文学では陶淵明の「陶淵明集」や詩文集「文選(もんぜん)」の出版、歴史では「三国志」完成、書では王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていのじょ)」、思想では老荘思想の発展や竹林の七賢による清談の流行などがあった。
なお中国の歴史年表に六朝時代という名称は無く、三国時代、五胡十六国時代、南北朝時代を通じて、南の、主として金陵(建業・建康という時代もあった)に都した6つの国に栄えた文化を総称するのが「六朝文化」という言葉である。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声八斉(せい)韻の斉、啼、隄の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
韋荘 836~908?(910?)
晩唐の詩人・役人
杜陵(とりょう=陝西省西安付近)の人。字は端己(たんき)、中唐の詩人韋応物(いおうぶつ)の4代目の子孫。40歳の時起こった黄巣(こうそう)の乱の悲惨な様子を長編詩「秦婦吟(しんふぎん)」に詠じて有名になった。58歳で進士に及第。校書郎に任ぜられる。当時四川省にいた王建(中唐の詩人とは別人)が反乱を起こしたので朝廷は韋荘を調停役に派遣したが、彼はそのまま王建に仕え、唐滅亡後、前蜀王朝を建てるのに協力して、宰相に任ぜられ、その功績で吏部侍郎尚書同平章事(りぶじろうしょうしょどうべんしょうじ)に任ぜられた。蜀の諸制度を定めた。蜀の都・成都郊外の、かつて杜甫が住んだ浣花草堂を修復して自分の屋敷にした。著書に「浣花集」10巻などがある。享年64?。