漢詩紹介

吟者:CD①収録 中島菖豊
2014年11月掲載
読み方
- 零丁洋を過ぐ<文天祥>
- 辛苦遭逢 一經より起こる
- 干戈落落たり 四周星
- 山河破碎 風絮を漂わし
- 身世飄揺 雨萍を打つ
- 皇恐灘邊 皇恐を説き
- 零丁洋裏 零丁を嘆く
- 人生古自り 誰か死無からん
- 丹心を留取して 汗青を照らさん
- れいていようをすぐ<ぶんてんしょう>
- しんくそうほう いっけいよりおこる
- かんからくらくたり ししゅうせい
- さんかはさい かぜじょをただよわし
- しんせいひょうよう あめへいをうつ
- こうきょうだんぺん こうきょうをとき
- れいていようり れいていをなげく
- じんせいいにしえより たれかしなからん
- たんしんをりゅうしゅして かんせいをてらさん
字解
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- 遭 逢
- めぐりあうこと
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- 起一經
- 五経(易経=えききょう・書経=しょきょう・詩経=しきょう・礼記=らいき・春秋=しゅんじゅう)のうちの一経 経書を勉強して進士に合格 仕官したことをいう
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- 干 戈
- たてとほこ 戦争
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- 絮
- 柳の花 綿
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- 飄 揺
- ただよう
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- 萍
- うき草
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- 皇恐灘
- はやせの名 江西省<カン>江(かんこう)萬安県にある舟行危険なところ 「皇恐」は恐れるの意で「灘」の名を掛けている
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- 零丁洋
- 海の名 広東省中山県南珠口河口の外洋 「零丁」はひとりぼっちで落ちぶれる意で「洋」の名に掛けている
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- 留 取
- あとに残しておく とどめる
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- 汗 青
- 書籍 昔竹をあぶって汗をふきとり紙代りとして文字を書いた
意解
苦労して聖人の書いた書物を読み、進士に及第して仕官し身をおこしたのであるが、国難にあって戦争に従って4年の歳月を送った。
山河はつぶされて風に従う柳の花が漂うように、自分の身も世の中を漂うて、まるで雨にうたれる浮き草のようである。
皇恐灘のあたりでは、国家滅亡の恐れを説き、零丁洋を渡っては、身の零丁を嘆くばかりである。
人生は昔から死なない者はないのであって、どうせ死ぬならばまごころを留めて歴史の上を照らしたいものである。
備考
文天祥は祥興元年(1278)10月、五坡嶺(ごはれい=今の広東省海豊県の北)で元軍に捕えられた。元の将軍張弘範は、宋の最後の拠点厓山(がいざん=広東省新会県の南海上にある島)を追撃するのに強制的に文天祥を帯同し、宋の総大将張世傑に降伏勧告の書簡を書くよう求めたが、文天祥は拒否してこの詩を作った。
この詩の構造は仄起こり七言律詩の形であって、下平声九青(せい)韻の經、星、萍、丁、青の字が使われている。第五句は二六同になっていない。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
文天祥 1236-1282
南宋末の忠臣。廬陵(ろりょう=江西省)の人。吉州(きっしゅう)の人ともいう。字は宋瑞(そうずい)。号は文山。21歳で状元(じょうげん=官吏登用試験の進士主席)となる。43歳のとき元軍に捕らえられて燕京(えんきょう=北京)に送られたが、降伏勧告にも屈せず「正気歌」を作って忠節を表した。元主(げんしゅ)も文天祥の心を知りつつ処刑した。文天祥は遂に燕京の柴市(さいし=今の北京教忠坊)で「吾が事畢(おわ)れり」と刑吏に告げて死んでいった。年47。諡(おくりな)は忠烈。「文山集」20巻がある。