如今朝野 雷同を悦び
じょこんちょうや らいどうをよろこび |
僅に圭角有れば 乃ち容れず
わずかにけいかくあれば すなわちいれず |
書を讀んで已に 道を衛るの志無し
しょをよんですでに みちをまもるのこころざしなし |
事に臨んで寧ぞ 義を取るの功有らんや
ことにのぞんでいずくんぞ ぎをとるのこうあらんや |
君見ずや満清全盛 宇内に甲たり
きみみずやまんしんぜんせい うだいにこうたり |
乃ち幺麼の 破砕する所と爲る
すなわちようまの はさいするところとなる |
江南十萬 竟に何をか爲す
こうなんじゅうまん ついになにをかなす |
陳公之外 狗鼠の輩のみ
ちんこうのほか くそのやからのみ |
安んぞ楠公 其の人の如きを得ん
いずくんぞなんこう そのひとのごときをえん |
弊習を洗盡して 一新令めん
へいしゅうをせんじんして いっしんせしめん |
獨り碑前に跪いて 三たび歎息す
ひとりひぜんににひざまづいて みたびたんそくす |
満腔の義膽 空しく輪
まんこうのぎたん むなしくりんきん |
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| 吉田松陰 1830−1859 |
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江戸時代末期、萩藩士(山口県)杉百合之助の次男として生まれた。幼名を大次郎、通称寅次郎、名は矩方(のりかた)、字を義卿(ぎき
ょう)、松陰または二十一回猛士と号す。6歳のとき叔父吉田了賢の養子となり、山鹿流兵学を学ぶ。11歳のときには藩主毛利敬親(たか
ちか)の御前で武教全書を講義する。勤王の志が厚く、佐久間象山に師事した。ペリー再来の時、密航を企てて下獄。その後萩の自邸内に松
下村塾を開いて子弟の教育にあたる。その門下には明治維新の大業達成に活躍した高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文らがいる。安政の大獄に連
座し小塚原で刑死した。年29。 |
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